登場人物が先か場面が先か(有川浩と伊坂幸太郎)
図書館戦争シリーズ、別冊2まで読みましたよ。。。
あーーーーーーーーー!!!!!!!!
いいっすねー!!!
個人的に笠原堂上ペアより柴崎手塚ペアの方が不器用さが好みだったので、最終巻はニヤニヤしながら読んでました。
何回かに分けて図書館戦争シリーズを読んでいる途中に感じたことを書いていきます。今日は第一弾です。
まず最初に、図書館戦争シリーズ面白かったです。面白かったんですけど、読んでいて何か違和感を感じたんですよね。
それはなんなんだろうと考えて辿り着いたのが、ストーリーを主導するものの違いです。
私は伊坂幸太郎さんの小説が好きで、最近まではむしろそれしか読んでいなかったんです。そんな自分が有川浩さんの小説を読んでいて感じたのは、「動きが多い」ということでした。
もちろん伊坂さんの小説でも登場人物は動きます。しかし、伊坂さんの小説内での登場人物は有川さんのものと比べてみると、完成されてそこに配置されているという感じがします。
というのは、伊坂さんはあまり直接的には登場人物の感情を描かないんですよね。登場人物の感情で場面が動いているというより、場面の変化で登場人物が各々の信条に従って動いているという印象を受けます。
それに比べて有川浩さんの小説では登場人物の感情がとてもストレートに表現されています。読んでいる方がちょっと恥ずかしくなるくらい(笑)
また、作中で登場人物の考え方が変わったりもします。
これらのことを考えながら読んでいくと、小説を進めているのも登場人物の感情なんだという印象を受けました。(もちろん大長編とラブコメという理由もあると思いますが)
文学部でもない自分にはこれを論証する方法と時間がないので、これはただの印象のおはなしですが、こういうことを考えながら小説を読んでいくと面白いよなあって思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました!